私はキリスト教の洗礼を受けてはいませんが、朝祷会で聖書を読む機会を持ち、
また日野原先生のお祈りに触れる中で、キリスト教への親しみを感じるようになりました。
特に、日野原先生のご自宅でケビン先生がお祈りを捧げ、「アーメン」という言葉が響いた瞬間の、あの先生の表情は今でも忘れられません。

近年、緩和ケアの臨床・研究に携わる中で、宗教的なサポートの重要性を強く実感するようになっています。
昔、天理よろづ相談所病院で働いていた同僚から、救急外来に訪れた腹痛の患者が「おさづけ」を受けた後、痛みが消えて帰宅したという話を聞きました。西洋医学の観点からすれば、にわかには信じがたい出来事ですが、病気と哲学、そして医療の歴史を踏まえれば、
こうした治癒の形にも一定の意味があるのかもしれません。

しかし、講演会でなんどかこういうわかりやすい話をしてみてましたが、
あまり引用なども調べてなかったので、以下は少し「おさづけ」について記載しておきます

「おさづけ」とは、天理教において病気平癒の祈りを込めて行われる儀式です。
一般的には「おまじない」と表現されることもありますが、正しくは「おさづけを取り次ぐ」と言うのが適切なようです

こちらのホームページでは
「天理教には『おさづけ』という「おまじない」があります。」
と敢えて表現することで我々にもわかりやすく伝えてくれています。

実際に痛みについての「おさづけ」の取り次ぎの文面を見つけました。

一番印象的だったのは、前会長へのおたすけだ。今夏、猛暑の疲れもあり、狭心症を発症。あわや救急搬送かと思われたが、神様にもたれておさづけを取り次ぎ、御供を口に含ませると、「スーッと心臓の痛みが治まった」と前会長が後で話したように、鮮やかなご守護を頂いた。
こちらのホームページより

このような事例を知るたびに、医療は単なる科学的介入にとどまらず、文化・信仰・歴史と深く結びついていることを痛感します。宗教的なサポートを含めた包括的なケアを考えることは、臨床医としての資質を高めるだけでなく、患者さんにとっての最良の医療とは何かを問い直す機会にもなるでしょう。

より良い医療を目指し、これからも学び続けていきたいと思います。

ではでは、また